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FLCスタッフエッセイ

2009.12.10 トラウマ
安全でサポーティブなコミュニティを創る

西 順子

 今年もあと僅か。この一年を振り返ると、今年は「安全でサポーティブなコミュニティ」を実感する一年だったな~と、あたたかい気持ちと、新しい年に向けての希望を感じる。今年、私にとって新たな一歩となった意味深い体験が、二つあった。一つは、身体感覚をベースにしたトラウマ治療法「ソマティック・エクスペリエンス(SE)」のトレーニングに参加したこと、もう一つは、南京セミナー「戦争によるトラウマの世代間連鎖と和解修復を探る」、に参加したことである。

 SEトレーニングでは、トレーニングの場自体が、安全でサポーティブなコミュニティであった。トラウマに取り組むには、「人とのつながり」の力や仲間の支えが必要なことを再確認した。国を超えて、トラウマの回復や癒しに取り組むSEコミュニティとつながり、新たな仲間ができたことに、とてもエンパワーされる気持ちであった。

 トレーニングを受けた後、来談されるクライエントさんの回復に少しでも役に立つことができればと、早速カウンセリングに取り入れてきた。その体験については、年報19号「『身体感覚』に耳を傾けるトラウマ療法~ソマティック・エクスペリエンスを学ぶ」にまとめたが、SEは症状を軽減し安全を確立するために、確かで穏やかな効果があると実感している。SEと出会い、「身体の叡智」がもつ自然治癒力を発見し、回復の道すじに希望の光がみえてとても嬉しい。まだトレーニングは三分の一を終えた段階だが、来年以降もさらにトレーニングを積み、よりよいサービスを志していきたい。

 南京セミナーには、参加できるこの機会を大切にしたいと、今思えば、無意識レベルで参加する必然性を感じ、導かれるままに参加した。トラウマ臨床に関わるものとして、加害の事実と向き合う必要があるという思いと、昨年の年報18号「世代を超えて受け継ぐもの」をきっかけに、戦争のトラウマの世代間伝達について考えていきたい、という思いもあった。南京セミナーでは、アルマンド・ボルカス氏によるHWH(歴史の傷を癒す)プログラムが予定されており、それも楽しみだった。

 セミナーに参加して、参加する前と後では、自分自身がとても変化していることに気づいた。まず私に起こった変化は、日本人としてのアイデンティティを自覚したことである。今まで日本人としてのアイデンティティを自覚したことはなかったが、セミナーに参加して、日本人として責任をもつ生き方をしていきたいと強く願った。自分を歴史の文脈に位置づけることで、今ここに生きることの意味を自覚することができた。

 もう一つ気づいた変化は、涙もろくなったことである。人の優しさ、あたたかさ、悲しみ、傷みに敏感になった。中国の若者のトラウマの深さを知り、心がとても痛んだが、人に対する優しさと思いやりで私たちを受け入れて下さることに、自分自身が癒されるような気持ちとなった。言葉の壁はあるものの、ドラマセラピーや表現アートセラピーを通して、中国の方々と、心と身体で対話できたことは、かけがえのない体験となった。セミナーの場自体が、一つの「安全でサポーティブなコミュニティ」となり、ボルカス氏がいう「共感する力こそコミュニティの自己治癒力であり、共感の文化を創ることこそ平和を創ることに他ならない」という言葉を心と身体で噛みしめた。このセミナーで体験したことを決して忘れることがないよう心と身体に刻み、共感の文化を創っていきたいと強く願った。

 10月、南京セミナーから戻ってから、自分の仕事の意味がより明確になった。トラウマの世代間連鎖にストップをかけられるよう、傷つきが繰り返されないよう、トラウマの回復と癒しのために、自分にできることを大切にしていこうと、自分に与えられた責任を意識するようになった。カウンセリングだけでなく、講師の仕事にも新たな意味が生まれた。

 昨年から、たまたまDV関係の研修で講師を務めさせていただく機会が増えたが、DVや虐待を受けている子どもや女性をサポートしようという方々に、「安全でサポーティブな人とのつながりの大切さ」を伝えたいという思いが強くなった。コミュニティ支援の大切さは、メアリー・ハーベイ氏から学び(ハーベイ氏論文
生態学的視点から見たトラウマと回復女性のトラウマに関わる臨床家の使命)、
実践のなかで実感してきたが、研修の場でも、その意味をさらに感じることができるようになった。研修に参加された方々が、共感を示してくれることが、何よりも嬉しいし、未来への希望を感じて力づけられる。いろんな地域、コミュニティで頑張っている方々と出会え、人の優しさ、あたたかさに触れて、私自身が勇気づけられ、癒されている。コミュニティに備わる自然治癒力、共感する力を大切にしていってほしいと願う。

 2010年は、女性ライフサイクル研究所の設立20周年を迎える。研究所の仲間とつながりが、私にとって安全の基盤となり、コミュニティでのつながりへと拡がってきたことに改めて感謝したい。安全でサポーティブなコミュニティが創られること、共感の文化が創られていくことを願いながら、私自身もその一員となってコミュニティ創りに参加していければと思う。来年はまた、どんな新たな発見があるのか、どんな体験ができるのかなと、楽しみにしていたい。 

(2009年12月)

2009.09.12 ライフサイクル
ひとり旅

村本邦子

 この夏、娘がひとり旅に出ると言い出し、岡山から高松のあたりを巡ってきた。夜間のフェリーで行って、夜はネットカフェで過ごすというので、「心配だから、せめて宿をとったら?」と示唆したら、安い宿を見つけたようだ。結局、1万円弱で3泊4日のひとり旅を楽しんできたらしい。当然ながら、知り合いやら、知らない人やらのお世話になりながらの旅だ。はっきり言って、血筋なんだろう。考えてみれば、私にも、夫にも、放浪癖みたいなものがある。急に思い立って、フラ~と知らないところへ行ってみるというのが好きなのだ。それも、いろんな人の世話になりながら。

 私自身、子育てを終え、旅に出る機会が増えた。純粋なひとり旅を楽しむ時間的ゆとりはないが、それでも、仕事であちこち巡り、新しい世界との出会いを楽しんでいる。最近、「自分自身に戻ったな~」という感覚があって、「これは何なんだろう!?」と考えていたのだが、どうやら、自分が自分に属するという感じ。振り返ってみると、子育て中って、どこか自分の半分は子どもに属しているような感覚があったのだと思う。自分がOKならそれでよいというだけでない責任感のようなもの。私は、こう見えても、基本的に慎重派なので、そんなに無茶をするようなことはないが、それでも、「子どものために自分を守らなければ」みたい意識があったのだろう。

 最近の私の旅の仕方は、パソコンを持ち歩いて、どこででも仕事をするというもの。本当は、すっかり仕事から離れられたらいいのだろうが、今はいろいろな責任が重すぎて、どうしても留守中、気になってしまうので、とりあえずネット接続可能な環境に限る。パソコンがあればほとんど必要なデータは取り出せるので、思いつけば、どこででも原稿が書ける。ちょっと変だが、この感覚も「自分が自分に属している」という感じにつながっている。「身ひとつあればいい」みたいな感じ?(パソコンがなければ困るわけだから矛盾してるか・・・。)

 旅先の風景を眺め、旅先の食べ物を食べ、できれば旅先の湯につかり、旅先で出会った人たちと触れ合う。違ったところには、違った世界が広がり、違った人たちが、違った人生を送っているということを知ることで、何ていうのか、自分と自分の世界をあらためて確認することができる。

 結婚したての頃、兄夫婦から「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と書いた額を頂いたのだが、話しているうちに、どうやら、私たち2人はどちらも自分が鳥のつもりでいるらしいということが発覚して、双方、愕然とした記憶がある。「あらあら、どちらも鳥だったら、私たちはいったいどうしたらいいの?」と。結論は出ないが、今までのところ、とりあえず、まぁ、何とかなっている。老後は、一緒に放浪できたらいいのだけど。特別な計画なく、少し仕事もしながら、車で東北やら四国やらの温泉地を転々とするのが夢だ。

(2009年9月)

2009.09.10 こころとからだ
ソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングに参加して

西 順子

 9月17日の夜~23日まで、東京で開催されたソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングに参加した。SEとは、「身体感覚」をベースにしたトラウマ治療法であるが、5月に初級トレーニング前半を終え、今回はその後半だった。日常から離れ、講師の先生やアシスタント&スタッフの方々、参加者の皆さんと一緒に過ごした6日間はあっという間で、とても濃密だった。

 トレーニングのプロセスを通して、私自身が変化していくことを感じたが、それは「穏やかな癒し」とでもいうような、新しい体験だった。トレーニングの場での、講師によるSEセッションのデモストレーション、グループでのSE手法の実習などを通して、参加者の皆さんと共に、私自身の心と身体も共振し、共感とともに、トラウマの悲哀を悼むプロセスをたどらせて頂けた。それは、その場が安心してつながれる、安全なコミュニティであったからこそと感謝している。ここでは少し、トレーニングの合間に受けたSEの個人セッションの体験を紹介したい。

 日頃から、疲れると左側の肩と首に痛みを感じていたが、SEのグループ実習でも、身体感覚に注意を向けると、左側の目や顎が緊張し力が入り、肩首も痛く重くなった。この感覚は何を意味しているのだろうか?と以前から気になっていたが、セッションではセラピストのガイドに添って身体の感覚や動きに注意を向け、身体の「声」に耳を傾けていった。そのプロセスのなかで、「あたたかい感覚」に触れたとき、ふと涙が流れて出てきた。頭ではどうして涙が出るのかわからない、ただ目からは涙がこぼれ落ちていた。そのあと、ふと懐かしい「ある感覚」が現れた。その懐かしい感覚に気づいたとき、潜在記憶が現れたのだった。それは私の記憶の一コマである、高校生の自分だった。イメージのなかで、身体をベースにしながら、その高校生の私、今の私とが対話するなかで、イメージも動き、変化していった。そのプロセスはとても創造的で、不思議で、とても新鮮なものだった。身体とは、無意識の宝庫であるのことを実感した。そして、人間という存在に対して、畏敬の念を抱いた。セッションが終わったときは、内側から満たされる穏やかさと落ち着きを感じていた。

 講師の先生は、トラウマの癒しにとって「社会的なつながり」の感覚が大切なことを何度も言われていた。SEのセッションでは、高校生の私が今の私とつながり、トレーニングの場では、国籍や居住地や年齢を超えて、社会的なつながりを感じることができ、安心して自分を外にひらくことができたのが嬉しかった。共に学び、共感しあい、体験を共有したSE療法家の先生や仲間たちとの出会い、そこで生まれたあたたかいつながりに感謝したい。そして、自分が学び、体験させてもらったことを支えに、日常の臨床に取り組んでいければと思っている。

※SEトレーニングについては、日本ソマティック・エクスペリエンス協会サイトをご参照ください。

(2009年9月)

2009.07.10 こころとからだ
身体の声を聴く~身体感覚のリズム

西 順子

 今年の年報のテーマは「身体の声を聴く(仮題)」。今スタッフそれぞれが年報のテーマに取り組んでいる。私自身も、日常生活のなかで、また臨床活動のなかで、近年少しずつ「身体の声を聴く」ことを意識するようになってきた。

 日常生活で身体に注意を向けるようになったきっかけの一つは、4年前のこと。ストレスのせいか体重がどんどん増え、ついに健康診断で「肥満度1」のチェックが入ってしまった。そのころ、体調もよくなかった。身体がしんどくて、どこか悪いのではないかと疑ったが、健康診断で他の異常はない(コレステロール、中性脂肪にはチェックが入っていたが)。慢性疲労だったのか? メンタル面からくるしんどさだったのか? 老化からくる変化か? 原因はよくわからないが、身体のしんどさに不安を感じていた。健康診断の結果を機に、このままではいけないと思い立ち、肥満を解消しよう、生活習慣を変えようと(夜、家で仕事をしたりパソコンに向かっていると、やたらとお菓子を食べてしまう)、ジムに行ってみることにした。以前ジムに入会したこともあったが、その時は挫折した。ただ黙々と走るランニングマシーンがおもしろくなくて、続かなかった。だから今度は、マシーン以外のものでやってみようと、スタジオプログラムに入ってみた。そこではじめてエアロビクスに出会ったのだが、それがとても楽しくて、すっかりはまってしまった。最初の目的はどこかに行き、とにかく楽しいし、上達するのも嬉しくて、一年間は時間を見つけてせっせと通うこととなった。

 中学の頃、一年間だったがモダンバレエを少し習ったこと、20代の頃にも一年くらいジャズダンスを習ったことも思い出し、自分はダンスが好きだったんだ、と懐かしい気持ちになった。しかも、昔は振付を覚えるのが苦手で、ダンスを楽しむまでには至らなかったが、エアロビクスは覚えやすくて、楽しめる。身体を動かす方法にはいろいろあるけれど、私には、音楽のリズムに合わせて楽しく身体を動かせるのが合っているんだと気づいた。夫は、黙々と走るランニングが好きなので、人にはそれぞれ何が合っているかは違うんだ、と納得する。一時の熱は冷めたが、今も週に一回程度は、気分転換にエアロビクスをしているが、楽しくて、好きだからこそ続けられる。

 もちろん、身体を動かすことでの効果もあった。身体面での効果では、肥満が解消されただけでなく、心肺機能は高まり、筋力がついて、駅の階段も一段飛ばしでも軽々と登れるくらい健脚になって、身動きが軽くなった。身体を動かすのが苦にならなくなった。しんどくて、だるいという体調の不調もいつの間にかどこかにいっていた。そして、身体面の効果以上に、精神面での効果もあった。身体を動かすことで心・気分も変化するんだということを発見した。しかし、もし好きではないこと(ランニングなど)を、「身体のため」と嫌々していては効果はなかったのだと思う。好きだし、楽しめたからこそ、効果もあったのだろう。

 特に、何がよかったかというと「身体が喜ぶ」という「心地よさ」を十分に味わえたこと。その「心地よさ」とは、「身体のリズム」を感じることでもあった。エアロビクスでは、徐々に身体を動かして、後半で走ったり飛んだり跳ねたりするが、息が切れてもうこれ以上走るのは苦しい~というところで、ちょうどペースダウンに入る。そして最後はストレッチをしてリラックスして終わる。交換神経が徐々に覚醒し、ピークに達したところで、徐々に緩めてリラックスへと入り、弛緩する。その身体のリズムというか、覚醒からリラックスへと、身体感覚が波のように変化していくのが心地よい。身体が心地よくなると、気分もリラックスする。リラックスしてストレッチしていると、心にしまっていた感情がじわっと出てきたり、涙が出てくることもあった。身体がリラックスして解放されると、心も解放されて涙がでるとは、最初は不思議な感じだった。でも、心と身体は本来一つのものであると考えると、ごく自然なことといえる。

 年報では、トラウマ療法として、身体感覚を使う<ソマティック・エクスペリエンス>を取り上げたいと思っているが、開発者であるリヴァインは、身体感覚の「自然のリズムに同調し、尊重することはトラウマの変容のプロセスの大切な一部」であると言う(※)。

 私がエアロビクスを通して取り戻せたのは、身体のもつ自然なリズム、身体感覚のリズムだったのかもしれない。自分のリズムに気づきやすくなったのか、日常のなかでは、呼吸のリズムに注意を向けることが多くなった。呼吸のリズムを感じ、そのペースにまかせていると、気持ちも落ち着いていく。リズムが感じれないときは、エアロビクスで身体を動かすことで、覚醒から弛緩へと流れていく身体感覚の心地よさを取り戻しやすい。

 現在、ソマティック・エクスペリエンスのトレーニングを受けている最中であるが、トレーニングが受けられることに感謝して、自分自身が経験し学んだことを、来談されたクライエントさん、周りの人々に還元していければと思っている。身体感覚に気づくことで、「私は生きている」という生の肯定、実感につながるものと確信している。

※『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』
(ピーター・リヴァイン著・藤原千枝子訳、雲母書房)より

(2009年7月)

2009.06.12 ライフサイクル
おさがり

村本邦子

 娘が、私の「おさがり」を愛用してくれる。体型としては、娘の方が細長いけれど、意外に問題なく着れてしまう。そして、だんぜん、娘の方が良く似合う。基本的に、私は、かわいいもの好きだし、年齢の自覚なく、つい若向けを買ってしまうので、当たり前と言えば、当たり前であるが、同じ服を着ても、組み合わせのセンスが違うし、体型や雰囲気も違うので、まったく別物のように見えてしまう。

 私の子ども時代も、生活に余裕がなかったので、服を買ってもらうことはなく、母の手作りか、回ってきた誰かの「おさがり」ばかりだった。と言っても、母が、安いレースやビーズを見つけてきては、かわいく飾りつけしてくれたり、自分で「おさがり」の組み合わせを考えて、ファッションノートを作ったりしていたものだ。要するに、服は、単に着れたらいいというより、楽しむものだった。この姿勢は今も変わらない。

 今で言えば、リサイクルということになろうが、使い古したものに新しい命を与え、誰かから誰かへと受け継いでいくわけだ。考えてみると、子育てや教育にも似たようなことが言えるのではないだろうか。知識であったり、経験であったり、上の世代が獲得してきたものを次の世代に手渡すが、手渡された者は、必ずしも、それをそのまま使うわけではなく、時代や状況に合わせ、新しい自分なりの知恵として活用していく。

 子育てや教育が古い人のコピーになってしまうようなことがある。上の世代が、下の世代を自分の思い通りにしようと期待する場合だ。よかれと思ってには違いないが、これでは、下の世代が上の世代を超えることはできないし、時代の変化に柔軟に対応していくことはできないだろう。私も、だんだん年を取り、上の世代に属することが多くなっていくが、独りよがりにならないよう要注意だと、日々、自戒している。

 「おさがり」をそのままにでなく、新しいものを付け加えたり、組み合わせたりしながら、使う人の個性で、新鮮に蘇らせる。パッと眼には気づかれにくいが、よくよく見れば、他の誰かからもらったものを活かしていることがわかるというのが粋だな・・・と思う。

 よく、「息子しかいなければ母親はいつまでも若々しいままだが、娘がいると母親は早く老ける」と言うが、娘のファッションを見ながら、「こうして私も年を取っていくんだな~」と、それはなんだか嬉しいことのような気がしている。思えば、うちのスタッフたちも、仕事上の私のアイディアややり方の「おさがり」を拾っては、大事に生き返らせてくれているものだ。これっと、とっても幸福なことなのではないだろうか。それでは、私の人生のどの部分は誰の「おさがり」なのかしら?などと考えながら・・・。

(2009年6月)

2009.06.01 カウンセリング
「心」と「身体」をつなぐトラウマケア

西 順子


 ひとの「心」に関心をもち、「その人らしさを大切に、人生を歩むお手伝いができれば」と心理的援助に関わるようになり20年、カウンセリングに携わるようになって約10年がたちます。特に、心の傷つき(トラウマ)のケアに取り組んできましたが、近年、「身体」のもつ力に関心をもつようになりました。PTSD、パニック障害、うつ、心身症など、心身の健康の回復を望んで来談される方のニーズに応えられるようにと、効果があるとされる新しい方法を学ぶなかで、「心」と「身体」の結びつきについて再認識するようになったからです。最近、「身体」にはそもそも自然治癒力が備わっているのだ、という思いを強くしています。

 トラウマケアに効果が認められている方法には、認知行動療法、EMDRがありますが、フォーカシングや臨床動作法もトラウマケアに使われています。どの方法も、身体にアプローチする側面を含んでいます。
 今年、自然なアプローチ法を用いてトラウマ症状を解決する、新しいトラウマ療法が我が国にも導入されました。ソマティック・エクスペリエンス(身体経験)メソッドです。開発者である医学生物物理学博士・心理学博士ピーター・リヴァインは、「トラウマの癒しの鍵は、強烈な感情より、身体感覚にある」と言います。
 生命体は、脅威にさらされたときに、戦うか、逃げるか、そのどちらもできないときに、凍りつくか、の反応をします。これは生存のために自動的に起こる自然な反応ですが、「凍りつき」によって、PTSD症状のほか、さまざまな心身の症状、衝動的行動が起こります。リヴァインは、この「凍りつき」反応を解放していく方法を見出しました。「凍りつき」を解放していくことで、トラウマによって切り離された、「感覚・イメージ・情動・行動・意味」がつながるのです。
 この方法は、誰もに自然に備わっている「身体感覚への気づき」を使うということで、とても安全であり、エンパワメントの手法だと感じています。

 カウンセリングでは、来談された方のニーズや希望に応じて、従来の「言葉」による心理療法に加えて、「身体感覚」に働きかけるアプローチも取り入れています。「心」と「身体」とのつながりを取り戻すことで、「ありのままの存在」として自分を大切に感じ、生きることの意味を発見していけるものと、実感しています。関心のある方は、カウンセラーにおたずね下さい。

参考文献:
『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』ピーター・リヴァイン著、藤原千枝子訳、雲母書房
『PTSDとトラウマの心理療法~心身統合のアプローチの理論と実践』バベット・チャイルド著、久保隆司訳、創元社

                           (2009年6月発行ニュースレター特集より)

2009.04.10 自然
自然のエネルギーに満たされて~西表島体験

西 順子

 一年程前から、西表島に行ってみたい・・となぜだか心を動かされるようになった。その大自然に心惹かれたことはもちろん、ただ景色を見るだけじゃなく、自然のなかで「体験」することに、ワクワクと気持ちが動かされていた。家族を誘い、昨年末に計画を立て、先月末に、ついに実現することができた。

 シーカヤック漕ぎ、滝を目指すトレッキング、海でシュノーケリングもしたいし・・と思うと、いろいろと調べたり、準備しないといけないことも多かった。仕事で忙しい時にここまでエネルギーをかけて、行く意味はあるのかな・・と、弱気な気持ちになる時もあった。

 でも、実際行って、帰って来てみると、「ほんと行ってよかった!」「またぜひ、行きたい!」に尽きた。「さあ、明日からもがんばるぞ~」と元気になって帰ってきた。西表島に移住された方が主催するツアーを二日間体験したが、島をよく知る方に案内頂けて、西表島の自然を満喫することができた。

 ある一日。マングローブに覆われた川の中をシーカヤックで上流へと漕いでいく。川に入っていくと、やがて車の音も聞こえなくなり、聞こえてくるのは、鳥のさえずりだけ。人は、私たち家族とツアーガイドさん以外誰もいない。海に出た時の風の強さとは一変し、マングローブが防風林代わりとなって、川の中は穏やかで静か。雨が止んで、太陽の光が注がれ、それを喜ぶかのように、気持ちよさそうに、ひらひらと優雅に飛びかう蝶たち。秘境の地で、原始的な自然に包まれていると、人間である自分はなんてちっぽけな存在なのか、と思えてきた。なんてちっぽけな・・と思うと、自分が悩んだり、迷ったりしていることも、なんて些細なことかと思えた。自分がこうして生きているのは、たまたま、ただ自然に生かされているだけなのだと、命に対して敬虔な気持ちになった。私も周りの人たちも、こうして生きているのは、なんと有り難いことなのかと思うと、思わず涙も出そうになった。

 川の上流にたどり着いた後は、カヤックから降りて、トレッキングで滝を目指す。ジャバジャバと川の中を歩いたり、岩場を超えて滝へ。岩場ではすべらないようにと、特に足もとに注意を払って歩き、よじ登る。一瞬「怖い」「もしも・・」と不安がよぎりそうになるが、感じるより先に、足元に神経を集中する。「不安や怖さがよぎるときも、とにかく信じて、地に足をしっかりとつけて、歩むこと」と、トレッキングは、まるで人生の教訓を学ぶかのようだった。信じるとは、「ゆだねる」という感覚であることを実感した。

 河口に戻って来ると、この日は大潮の日(潮の干満差の大きい日)とあって、潮が引き、広い砂浜ができている。朝カヤックをスタートした時点から、水面の高さは2メートルほど違っていたかと思う。潮が引いた後の砂浜は小さなカニで埋め尽くされている。こんなに大きな潮の満ち引きがあるのか・・と、自然というより宇宙を感じた。

 ・・「体験する」とは、まさに「体」で「経験する」ことであった。五感で、体全体で感じて、体を使って、自然の生命のなかで、人間の生命を実感させられた。行く前は、こんなに深い体験ができるとは思いもよらなかった。本能のエネルギーを感じ、深い満足感で満たされた。一年前から、なんとなく行きたいと思っていた西表島だったが、自分の無意識が自分に必要なものを求めていたのかと、とても不思議な、納得する気持ちになった。

 命には限りがあるからこそ、生きていることに感謝して、今自分にできることを大事に、明日からもまたがんばっていこう。そんな気持ちになって、今年度がスタートした。次回は、海でシュノーケリングをして海の中の世界も見たいと、いつかまた西表島に行ける日を楽しみにしていたい。

(2009年4月)

2009.01.12 子ども/子育て
子どもたちの巣立ちを迎えて

村本邦子

 今年、息子が成人式を迎える。そして、この春、娘が家を出て、いよいよ夫婦2人の生活となる。あっと言う間の子育てだった。こんな親だったが、本当に良い子たちに育ってくれ、日々、感謝である。

 振り返れば、巣立ちを予感させられる出来事は、ずいぶん前からあった。親が思い込んでいる子どもの顔と違う顔を知ったとき。親をうならせるような鋭い批判をされたとき。家よりも、外の世界に関心が向いて、出て行ってしまうようになったとき。親には想像も及ばない才能やすぐれた性質に気づかされたとき・・・。そのたびに、子どもの姿をしげしげと見直し、敬意をもって見上げ、もはや親が不要になりつつあることに寂しさと安堵、そして誇らしさを感じてきた。

 年末、子育ての総まとめのような形で、『プレ思春期をうまく乗り切る!大人びてきたわが子に戸惑ったとき読む本』をPHPから出版した。ちょうど、お盆休みの頃に、急ピッチで書き上げたものだが、そこに書いた子どもたちの状況にも、大きな変化が生じた。娘の突然の進路変更と、息子が長くつきあってきた彼女との別れである。さまざまな経験をし、いろんなことを味わって、さらにグッと大人になる仕上げをしたような格好である。

 そして、年末、息子はCDデビューを果たし、娘はイベントへの初出場を果たした。2人ともラッパーである。私には馴染みのない世界だが、好きなことに一生懸命、打ち込んでいる子どもたちを応援したくて、早速、息子のCDを買い(どころか、周囲に売って回っている)、娘のイベントに行ってきた(こちらも若い人を誘って)。

 息子のCDを最初に聴いたときは、ちょっとショッキングだった。娘と違って、息子の方は、これまで一度も自分の曲を聴かせてくれなかった。その理由がよくわかった。要するに、すっかり大人の男の世界なのである。そんな顔を母親に見せることを遠慮してきたのだろうか。これまでの私には、どんなに体が大きくなっても、かわいいかわいい小さな子どもだった頃の息子の姿が重なって見えていた。ちょうど、マトリューシカ人形のように、幼かった頃の息子から、小学時代の息子、中学時代の息子・・・と入れ子のように重なっているように思えていたのだ。今回、かわいかった小さな男の子が、「ママ、バイバイ!」と笑いながら手を振って、透明になって天に消えて行ってしまったような気がした。軽い喪失体験だった。

 娘のイベントの方は、「クラブ」というところが生まれて初めてだったので、とにかく若いパワーに圧倒されっぱなしの体験だった。こんな中で、独りで歌おうというチャレンジ精神にまずは脱帽である。初々しく恰好よく、ソロを2曲歌い、最後の曲は、音楽仲間と兄が友情出演した。息子だけ大人で、さすがに迫力あったが、仲間である高校生の男の子たちも何とも素敵な子たちだった。良い仲間に恵まれ、幸せなことだと思う。素晴らしい人間関係を拡げていく力も、この子たちの力だろう。若者たちが愛おしくてたまらなくなった。みんな幸せになって欲しい。

 「いつでも潔く死ねる」と思っていた若い頃から、子どもが出来て、何があっても死ねないと思った。変な話だが、一人で飛行機に乗る時など、万が一、飛行機が落ちて死んだとしても、幽霊になってでも生き続けるぞと思ったものだ。最近、まったくそんなことを考えなくなった。親がいなくなっても、この子たちは、もう立派に生きていけるだろう。願わくば、長生きをして、大人になった子どもたちと共に過ごす機会をいつまでも楽しみたいものだけど。

(2009年1月)

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