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FLCスタッフエッセイ

2004.10.12 コミュニティ
前を向いて歩こう♪♪♪

村本邦子

  大阪YWCAの講座に呼ばれて、交流会に出席。とっても楽しい良い会だった。最初に、ぐるりと一巡、名前とチャームポイントの自己紹介。最初はなぜかこの自己紹介に抵抗を感じた私だったが(自分のチャームポイントなんて考えたことない!)、聞いてるうちに、「へぇ、うまいこと言うもんだ」と感心したり、「そんなことまでチャームポイントとしてアピールできるんだ」と驚いたり。講師挨拶はすでに終わっていたので、安心して、食べ物をたんとお皿にキープしてもりもり食べている最中に急に振られて焦った私は、言い訳がましく、「食べるのが大好きなことかな?」と控えめに言うことしかできなかったが、聞いているうちに、「おいしいものを与えられたら機嫌が良いこと!」と表現すればチャームポイントになったんだと要領をつかんだ。「方向音痴の私!」も結構チャーミングかも。「心も体も豊かなところ!」「このなかで一番最初に生まれたこと!」、なかには、「人に頼まれたら、ノーと言えないこと!」という人までいた。チャームポイントって、必ずしも人に誇れることや美徳とは違って、場合によっては欠点だったり、ちょっと困ったことかもしれないけれど、それでも「何だか憎めないよなぁ~」ということなら良いわけで、人のを聞きながら自己肯定的になれるワークだった。
 それから歌詞カードが配られて、ギターと歌があったのだが、一番最後にみんなで輪になって腕を組んで歌わされた(?)歌、「上を向いて歩こう」の替え歌である「前を向いて歩こう」がとっても良かった。

前をむいて歩こう

1.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  思い出す春の日 一人ぼっちじゃない夜

2.前を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて
  思い出す夏の日 一人ぼっちじゃない夜
   しあわせは雲の上になんかない しあわせはここにあるのさ

3.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  泣きながら歩く 一人ぼっちじゃない夜
   ~ラララ ラララ・・・~ 悲しみは星の影に 悲しみは月の影に

4.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  思い出す春の日 一人ぼっちじゃない夜
   一人ぼっちじゃない夜 一人ぼっちじゃない夜

 歌詞を見ると字余りになりそうな予感がしたが、実際に歌ってみると、意外とうまくはまるのである。「涙がこぼれたっていいじゃないか」「一人ぼっちじゃない夜」と仲間たちと声を合わせて歌うことで、とっても暖かく励まされた思いがする。世代のせいか、九ちゃんと言えば日航機事故を連想してしんみりした気分になるので、被害者支援、援助者支援の場にふさわしいように感じられ、これを広めたらいいかもと思って紹介してみた(ちなみに、あちこちに歌詞を配って歌ってもコピーライトに問題はないそうである)。

(2004年10月)

2004.10.10 仕事
文化祭の季節に思う

西 順子

 10・11月は体育祭、文化祭の季節。子ども達が、体育祭や文化祭にクラスや仲間と一致団結して、一生懸命取り組んだり、笑ったり泣いたりしている姿は青春そのもので、輝かしい。私も学生時代は体育祭や文化祭が好きだったなぁと昔のことを思い出す。中学・高校時代の人形劇、お芝居、クラスの応援旗づくり、仮装行列、合唱コンクール、大学時代の定例コンサート・・、人と一緒に何かを創りあげること、目標に向かって力を合わすこと・・が結構好きだったなぁと。
 仕事のなかで、時々、そんな懐かしい感覚を思い出すときがある。
 今年前半では、6月末日の日本コミュニティ心理学会第七回大会。私は事務局長を引き受けたが、半年程前からいろんな人達と一緒に準備をすすめていった。こういう機会がなければ一緒に仕事をすることはなかったであろう方々とご一緒させていただいたことは、社会勉強にもなった。無事大会当日を迎えたが、大会の三日間はあっという間に過ぎた。三日目の最終日、盛況のうちに終ろうとしている・・とほっと安堵感と共に後片付けを始めていた時、会場を後にする名前も知らない会員の方々から「いい学会でした。ありがとうございました」「学会らしい学会でした」と暖かい一言をかけていただいた。よかったぁ、とほっと心から嬉しい気持ちになった。人に喜んでもらえたことで、全ての苦労が報われる気持ちだった。
 今年後半では、研究所の仕事として企業研修に取り組んだ。準備から実施まで何ヶ月かかけてスタッフと共に取り組む過程は刺激的であった。
 皆で協力しながら学びあえる過程、何かを創り上げる過程、目標に向う過程は面白い。ただ、学生時代と違うのは、責任が伴うということ、あるいはその責任の重さだ。最後まで責任を負うことで、より自分の体験として根付くことができるのだと思う。その過程は楽なことではないけれど、でも楽しみながら、面白がりながら、仕事をしていければと思う。

(2004年10月)

2004.08.10 トラウマ
「戦争とトラウマ」を考えて

西 順子

 今年の年報では、「戦争とトラウマ」をテーマとして取り上げることとなった。私は「戦争体験の語り継ぎと次世代」について考えてみたいと、語り継ぎについてのインタビューを行った。6月には、広島を訪問し、平和記念資料館も見学したが、自分が知らなかった原爆の真実を知り、衝撃を受けた。その体験については年報に書いているが、もっと歴史から学ばなければと、今年の夏は戦争に関わるドキュメンタリー番組などを見ている。今回は、その中から印象に残ったことを書いてみたい。
 8月1日、『NHKアーカイブス・ヒロシマの記憶「これがヒロシマだ~原爆の絵アメリカをいく」1982年(昭和57年)』をみた。被爆により全身に大火傷を負った松原美代子さんは、「原爆の絵」を携えて、アメリカ人に原爆の絵を見てもらい、国連に軍縮を訴えるために渡米し、各地を訪問している。原爆の絵は、松原さん自身が書いた絵も含めて広島市民が書いた絵であるが、それは、人間が住む世界とは思えない光景の絵である。「体験を語るのは辛いし、私の話を聞くことは皆さんにとってもきっと辛いことだと思います。でも、過去を振り返ればよりよい未来を築け、同じ過ちを繰り返さないですみます」とゆっくりと英語で、声を絞り出すようにスピーチする松原さんの姿は印象的だった。松原さんはご自身のことを「ヒロシマ・サバイバー」と呼んだが、サバイバーとしての叫びと願いが伝わってきた。
 訪問先での、ハイスクールの学生も印象的だった。「アメリカ人がそんなことをしたの、悲しいわ」という女学生。他人事ではなく、自分の国がしたこと率直に受けとめた。「アメリカ人を憎んでないの?」という質問に「昔は憎んでました。○○さんに出会って(一緒に各地を訪問してくれている方)、アメリカ人でもこういう人がいると思ってからは、アメリカ人ではなく戦争を憎むようになりました」と答えた松原さん。一方で、地域によっては、出演したラジオ番組には抗議と非難の電話が鳴り止まなかった。「日本はアメリカの傘の下に入って、守ってもらっているくせに」「戦後日本は平和が続いてるじゃないか」・・など。それでも、「絵を見てもらえればわかってもらえずはず」と決して希望を失わない松原さんが印象的だった。現在は、70歳を超えたというが、「私に残された時間はあと少ない」と今も年に二回は海外を訪問し、平和を訴えているという。
 8月8日は、読売テレビ『ドキュメント'04「逃亡者の遺言」』をみた。渡辺さんは現在90歳、大阪に住まうが、戦争当時は沖縄の陸軍兵士だった。「もういっぺん久米島にいってね。あんなことあった、こんなことあったということを、辛い思い出、思い出したくないような思い出ですけど、一辺行って、本当に申し訳ありませんでしたということを言いたいんです」と、真実と向き合うために渡辺さんは久米島に向かった。
 沖縄戦末期、米軍が迫ってきており、このままでは殺されると思った渡辺さんは、突撃の数日前に、7人で海に逃亡した。当時は「この地獄から抜け出したい、きれいな海で死にたい」と思ったが、「逃亡した負い目が今でもある。今でも死んだ兵隊に申し訳ないと思っている」という。漂流してたどり着いたのが久米島。久米島では、住民が渡辺さんを温かく迎えてくれ、ない食料を分け、病気の手当てをしてくれた。でも、そこで渡辺さんが見たのは、海軍通信隊の住民虐殺だった。通信隊の疑心暗鬼から、スパイ容疑とみなされたものは即刻処刑されたが、それは4家族20人という。渡辺さんは、同じ時期、同じ島にいながら、通信隊の行動を止めれなかったことに後悔が残ると話す。犠牲者の遺族を尋ねた渡辺さんは、「本当に申し訳ありません。日本の兵隊の1人として、心からお詫び申し上げます」と謝罪された。また、島の高校では、当時のことを語り、若者に向かって「私の遺言として、戦争とはどういうことか、国家とはどういうことか、本当に真剣に考えていただいたら・・と思う」と話された。渡辺さんの「申し訳ない」という言葉に、今も背負う罪悪感、苦しみの重さを感じる。最後に、島の人々に温かく迎え入れられ、涙を流されたことも印象的だった。
 松原さん、渡辺さん、心に深い傷を負いながらも、戦争の被害、戦争の加害の側面に向き合い、人と向き合おうとする人がいることを知った。マスレベルで起こった戦争を、体験した一人の人間として、未来への願いを込めて、語り継いでいこうとしている人がいる。そうした人々の声にもっと耳を傾けていきたいと思う。歴史は繰り返すといわれるが、悲劇が繰り返されないように、歴史の真実から学んでいきたい。
今年11月発行予定の年報14号、ぜひ、1人でも多くの皆さんに読んでいただけたらと願っています。


(2004年8月)

2004.02.10 こころとからだ
自転車は相棒

西 順子

 先日、春一番が吹き、突然の突風に出くわした。傘をさして自転車に乗っていた私は思わず自転車ごとこけてしまった。自転車を自由自在に乗りこなしているつもり?!だったので、それは結構ショックだった。
 自転車は私にとって相棒ような存在だ。毎日の生活に欠かせないものでもあることはもちろん、体に馴染んだ乗り物でもある。だから、ショックだったのかな?
振り返れば、子ども時代の記憶のなかでも、自転車にまつわるエピソードは印象的な記憶であり、時々懐かしさと共に思い出されるものである。
小学生の頃、両手をハンドルから放してどれだけ運転できるか、自分に挑戦するのを楽しんでいた。
高校生の頃は自転車通学だったが、雪が積もった日にも自転車に乗って、雪道をすべって何度もこけながら登校したこと。夏のクラブの合宿のために、布団を学校まで運ばなければならなかったが、うちには車がなかったので、自転車の後ろに布団をくくりつけて、よろけながらも学校に運んだこと・・etc。
 なぜ、自転車にまつわるこうしたエピソードをよく覚えているのかなと不思議だったが、今、自転車は私にとって自己コントロール感を高めてくれるような存在だったのかなと気づいた。確かに、自転車を自由自在に乗り回すとき、心地よい感覚、力強い感覚を味わうことができたなと。
 
今も、自転車に乗るのが好きである。自転車で30分以内の距離なら、電車より自転車を選ぶ。歩くよりも適度にスピードが出るところもいい。雨が降ろうが、多少の台風でも自転車のほうがいい。街のなかを自転車でうろうろして、時には知らない道を走ってみるのも楽しい。どの道とどの道がつながっているのか発見し、道をつなげて、頭に地図を描いていくのもおもしろい。近道を発見したときには、得した気分にもなる。素敵なお店を見つけたときも嬉しい。
最近は、自転車で寄り道したり、ぶらぶらする時間がないが、たまにはふらっと自由に走り回ってみたい。でも、自転車が体に馴染んだ乗り物だからといって、おごり高ぶってはいけないな・・と、先日自転車からこけて気を引き締めた。
暖かくなったら、サイクリングにでも出かけてみようかな・・。

(2004年2月)

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